東京地方裁判所 平成9年(刑わ)81号 判決 1997年5月28日
主文
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
押収してある履歴書二枚(平成九年押第五六四号の1、2)、雇用契約書一枚(同押号の3)、賃金控除に関する同意書一枚(同押号の3)及び給与振込依頼書一枚(同押号の4)の各偽造部分を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和六三年一〇月ころ、宗教法人オウム真理教に入信し、活動していたものであるが、平成七年五月、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配を受け、地下鉄サリン事件や新宿駅青酸ガス事件等の容疑で特別指名手配を受けていた北村浩一、高橋克也、八木澤善次らと共に埼玉県所沢市西所沢一丁目一六番一七号所在のレヂオンス西所沢二〇八号室に潜伏していたものの、生活費等に窮し、被告人と松下悟史が働いて生活費等に充てることとなり、被告人は、「青木和宏」の偽名を用いて就職しようと考え、
第一 同年八月一〇日ころ、前記レヂオンス西所沢二〇八号室において、行使の目的をもって、ほしいままに、履歴書用紙の氏名欄に「青木和宏」、生年月日欄に「41 1 24」、現住所欄に「大分県中津市大宇犬丸669―2」などと記載し、その名下に「青木」と刻した印鑑を押捺し、もって、青木和宏作成名義の有印私文書である履歴書一枚(平成九年押第五六四号の1)を偽造した上、同月中旬ころ、これを東京都内のポストに投函し、北海道阿寒郡阿寒町字阿寒湖畔番外地所在の株式会社阿寒グランドホテル総務課宛に郵送して、そのころ、同課に到達せしめ、同会社総務部長上田誠らに対し、これを真正に成立したもののように装って提出して行使し、
第二 同八年九月中旬ころ、前記阿寒グランドホテルのグランド寮四一六号室において、行使の目的をもって、ほしいままに、履歴書用紙の氏名欄に「青木和宏」、生年月日欄に「昭和41 1 24」などと記載し、その名下に「青木」と刻した前記印鑑を押捺し、もって、青木和宏作成名義の有印私文書である履歴書一枚(前同押号の2)を偽造した上、同月末ころ、北海道北見市とん田東町三九七番地所在の日総工産株式会社北見オフィスにおいて、同オフィス所長山下洋に対し、これを真正に成立したもののように装って提出して行使し、
第三 同年一〇月二一日ころ、金沢市広岡一丁目一番三五号所在の日総工産株式会社金沢営業所において、行使の目的をもって、ほしいままに、雇用契約書用紙の氏名欄に「青木和宏」、生年月日欄に「41 1 24」、現住所欄に「大分県中津市大字犬丸669―2」、労働者欄に「青木和宏」などと、賃金控除に関する同意書用紙の労働者欄に「青木和宏」などと、給与振込依頼書用紙の氏名欄に「青木和宏」などとそれぞれ記載し、その各名下に「青木」と刻した前記印鑑を押捺し、もって、青木和宏作成名義の有印私文書である雇用契約書(前同押号の3)、賃金控除に関する同意書(同押号の3)及び給与振込依頼書(同押号の4)各一枚をそれぞれ偽造した上、即時、同所において、右営業所労務担当社員川村守に対し、これらを真正に成立したもののように装って一括提出して行使し
たものである。
(証拠の標目)省略
(補足説明)
弁護人は、(一)被告人は、「青木和宏」という氏名を自己を表示するものとして、本件各文書に署名したものであり、判示第一、第二の履歴書については、被告人の顔写真が貼付され、判示第三の各文書には、右写真は貼付されていないが、判示第二の履歴書を前提として作成されたものであり、本件各文書の作成名義人は被告人と解するのが相当であり、作成者と名義人との間の人格の同一性についての欺罔は生じていず、私文書偽造罪には当たらない、(二)顔写真により人物の特定はなされており、氏名が本名ではなく、現住所、生年月日が真実ではないからといって、被告人が作成名義人であることを否定するのは不当である、(三)被告人には、文書の効果を免れようとする意図はなく、有形偽造は成立しないと主張する。
そこで検討するに、刑法一五九条一項にいう偽造とは、権限がないのに他人の名義を冒用して文書を作成することをいい、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性に齟齬を生じさせることと解されるところ、本名(戸籍名)を隠し他人になりすまして生活するため、偽名を使用して文書を作成した場合においては、人格の同一性に齟齬が生じており、名義を冒用していることが明らかであって、偽造に当たると解するのが相当である。
以下、これを本件に当てはめて検討するに、被告人の本名、生年月日は、判決の冒頭に記載したとおりであり、本件各文書の記載をみるに、前記のとおり、氏名欄には、「青木和宏」、生年月日は昭和四一年一月二四日である旨の各記載がなされており、被告人は、就職の際各文書を雇用主等に提出している。
このように、被告人は、本名を隠し他人になりすまして就職するため、本名以外の名義を使用して本件各文書を作成している。雇用のために提出される履歴書は、本人が本名又はこれに準ずる通称名を用いて作成するというのが社会一般の認識であると解され、履歴書の提出先である雇用主は、現実に面接した者が偽名を用いて作成しているなどとは思いもしないのである。本件各文書から特定される作成名義人は、青木和宏であって、被告人が通称名として青木和宏の名称を使用していたとの証拠がない本件においては、被告人が偽名を使用したことは明らかである。本件各履歴書には、被告人の顔写真が貼付されているが、既にみたとおり、文書の作成名義人の判断に当たって重要な意味合いを有している氏名、生年月日等が被告人とは全く異なるものであり、文書の作成名義人は青木和宏と解するのが相当であり、被告人の写真が貼付されているからといって、右判断を左右するものではない。かえって、写真は、他人の運転免許証の写真を自己の写真と張り替える場合と同様、被告人が青木になりすます手段として用いられたものであって、有形偽造の主観的意図を端的に表しているものといえる。また、文書作成者の文書から生ずる責任を負う意思の有無は、同人が偽名を用いて身元を秘匿している以上、偽造に当たるか否かとはかかわりのないことと解される。
以上検討の結果、被告人が本件各文書を偽造したことは明らかであって、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示各所為中各有印私文書偽造の点は、刑法一五九条一項に、各同行使の点は、同法一六一条一項、一五九条一項に各該当し、各私文書の偽造とその行使との間には、手段結果の関係があり、判示第三の一括行使は、一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項、一〇条によりいずれも一罪として犯情の重い偽造有印私文書行使罪(判示第三の罪については、雇用契約書の行使罪)の刑で処断することとし、以上は、同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してある履歴書二枚(平成九年押第五六四号の1、2)、雇用契約書一枚(同押号の3)、賃金控除に関する同意書一枚(同押号の3)及び給与振込依頼書一枚(同押号の4)の各偽造部分は、判示各偽造有印私文書行使罪の犯罪行為を組成したもので、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文によりいずれも没収し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
よって、主文のとおり判決する。